けいゆうの世界史ブログー【“楽しく”世界史の点数を上げよう!】

世界史の①簡単だけど高得点を取れちゃう勉強法、②誰でもできる暗記方法、③やる気・集中力の出し方などを伝授しています!

【世界史の未解決問題】中東戦争の流れ、あなたは言えますか??

んにちは!

 

けいゆうです!

 

世界史といえば
範囲が広い、とか
用語が多すぎる…
で有名ですが

 

問題の方を見ると
古代より近代史の方が
圧倒的に出ているので

実は範囲って
あなたが思ってるより
狭い可能性が十分あります。

 

しかしなにせ
覚えられない…

 

近代史は特に文献も
資料も多いので
複雑化しやすいんですよね…

 

だから流れも理解しにくく
覚えられない…

 

その中でも今回は
中東戦争について
見ていこうと思います!


今回はリクエストです!

(リクエストしてくださって
ありがとうございます😊)

 

現代でもニュースに
なることがありますよね。

 

空爆や過激派が…など
あまり平和な情報が
ありませんが

 

なぜこうなって
しまったのでしょう?

 

いきなり出てきた話じゃ
ありません。

 

これは世界史を
学べばわかること。

 

現代の問題でもあるので
共通テストにも出しやすい
と考えると

復習して損はありません!

 

ここで理解しちゃって

中東戦争?ボーナス問題だ!」
と言えるくらい
余裕を持てるように
しちゃいましょう♪


 

 

実際に出た
センター世界史の
問題を解いてみよう!



では、まず実際に出た
センター世界史の
中東戦争」の問題
解いていきましょう!


復習だと思って
解いてみてください!

 

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※ちなみに傍線部⑦は
「大量の移民が出た」
です。

(制限時間目安
:2分)



わかりましたか?

 

 

この問題は2003年の
センター世界史Aから
引用させていただいています。

 

少し古く感じるかも
しれませんが
いい問題ですよね。

 

 

では、答えを発表します。
(まだ出てない人は
ここでスクロールしないで
ください!)

 

 

答えは、、、


















です!


少し難しかった
でしょうか?


では、
解説にいきます!

 

・問題の解説

 

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この問題、正直
難しいです。


正解にたどり着くためには

①これが「第何次の
中東戦争なのか
を分析して

②それにあたる
中東戦争
選択肢の内容が
一致するものを選ぶ

必要があります。


今回は「第何次なのか」
を分析するための
ヒントとして

地図が与えられてますね。


そしてその地図には
当然パレスチナ付近の
場所が描かれている
わけですが、

他にも
「難民の移動経路」
「難民の数」が出ています。

今回のヒントは
これです。

謎解きスタートですね!

 

ここで1つ1つ
どうだったのか
思い出していくんですが


今は問題の解説と
解き方を優先するので

下のページ
中東戦争解説パート」

で説明していきます。


で、思い出してみると

第一次中東戦争では
ユダヤ人国家イスラエル
アラブ諸国に勝利し
大半の領土を獲得したため

元々パレスチナに住んでいた
アラブ人はヨルダン川西岸地区
ガザ地区といった
場所に逃げます。

 

第二次中東戦争では
そもそも
イスラエルvsアラブ諸国
というより

イギリスvsエジプト
という対立の方が
あっていて、

舞台もパレスチナではなく
スエズ運河です。

 

第三次中東戦争
別名:六日間戦争
と言って

6日間で決着が
ついてしまうほどの
イスラエルの奇襲が
炸裂します。

この結果
イェルサレム全域や
ヨルダン川西岸、ガザ地区
シナイ半島ゴラン高原
といった地域を

イスラエルが獲得し
支配地域が拡大します。

つまり難民もそこには
流れず、もっと遠くに
移動する必要があるんです。


第四次中東戦争では
アラブ諸国の奇襲で
始まります

 

これで石油戦略が
発動しますが
戦争は膠着状態となり

直ちにシナイ半島
奪い返しとは
なりませんでしたが

後の
エジプト=イスラエル平和条約
シナイ半島
返還されました。

 

以上のことを思い出すと、
難民の移動から見て
二次、三次、四次は
違うなと判断できます。

なので今回は
第一次中東戦争
と一致する選択肢を
選ぶことになります。

 

そして選択肢を見ると

①この戦争の最中に
アラブ産油国
石油戦略を発動した。

 

スエズ運河の国有化を
宣言したエジプトに対し
アメリカ合衆国
イスラエルと共に侵攻した。

 

ユダヤ人はパレスティナ
建国し、反対するアラブ諸国
と戦争になった。


イスラエルは、アラブ諸国
先制攻撃し、シナイ半島や、
シリア、ヨルダンの一部を
占領した。

 

となっていて
選択肢はそれぞれの
中東戦争について
言及していますね。


①は「石油戦略」
あるので第四次だなと
推測できます。

②はスエズ運河の国有化
の話をしているので
第二次だなと推測できますが

アメリカ合衆国
イスラエルと共に
侵攻してませんし

むしろ停戦を呼びかけた
側なので選択肢の内容が
違いますね。

③は「建国」を理由に
戦争していることから
第一次のことだなと
推測できます。


④はイスラエルが先制攻撃」
しているので第三次のこと
だなと推測できます。

 

以上のことから
第一次中東戦争
合致している選択肢は
ということになり


正解は③だと
いうことなんですね!


この問題に
正解できた人は
よく復習されていて

しかも身についていますね!

めちゃめちゃいい👍

不正解の人は
全然気落ちしなくて
大丈夫です!


復習して、
パワーアップして
いきましょう!

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中東戦争
なぜ起きた?

ここからは
中東戦争の流れ」
について解説していきます!

 

そもそも中東戦争
なぜ起きたのでしょうか?

 

それにはいくつか
複雑な情勢が
関わっていました。

 

1つ目:近代の民族自立の運動


まず1つ目、
近代における
民族自立の運動です。

 

ヨーロッパなどの
大国に支配されていた
植民地。

フランス革命
自由を勝ち取り
ナポレオンの戦争で
広がりを見せた自由主義



国民が1つの主権のもとで
国家を形成しようとする
「自国のもとで結束しよう!」とする
ナショナリズム


19世紀にヨーロッパを
席巻します。


ウィーン体制
そんな流れを抑え込もうと
革命前の絶対王政的な
支配をしようとします


民衆はそれに抵抗し
各国で革命運動が
盛んになりましたよね。


ベルギーはその機運に
乗り独立を達成してますし。


なので支配された国って
そんな民族意識を持ち
独立しようと
頑張っていたんです。

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その中で自分たちと違う
宗教や信条を信じる人を
許しはしません。

学校でも友達のグループを
作るときに、違う人を
排除しますよね。

これと同じようなこと
が起きます。


フランスはカトリックの国
なので、そうではない
ユダヤ人を排除しようと
する動きが見られるように
なりました。

1894年のドレフュス事件
ですね。

ですがユダヤ人は
歴史上ずーっと冷遇され
自分たちの国も持っていない
民族だったんです。

世の中は民族で
独立しよう!という
流れが漂っています。

こうなると、ユダヤ人も


自分と同じユダヤ人だけの
国家が欲しいな

迫害されない自国で

ゆったりと暮らしたいな〜

と考えるようになるわけです。


このように
ユダヤ人国家を建設しよう!」

パレスチナという
元いた土地に帰還して
ユダヤ人の国家を再建しよう!」
という考えをシオニズムと言います。


2つ目:パレスチナを当時支配していた国

 


2つ目の事情が
パレスチナを支配していた国
についてです。

 

19世紀、パレスチナ
支配していたのは
オスマン帝国でした。

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かつては強大だった
オスマン帝国でしが
帝国列強の攻撃を受け
すっかり瀕死。

ただ、オスマン帝国の中にも
多くの人種がいたので
その中のアラブ人
こう考えるんです。

「俺らアラブ人だけの
国家を作って独立したいな」

パレスチナに元々いた
ユダヤ人と今いるアラブ人。

ですが当初、ユダヤ人は
アフリカの未開の奥地に
建国してもいい
考えていました。

なので本来なら
中東戦争という形で
衝突しなかったかも
しれないんですが、


これを決定的にしてしまった
3つ目の事情があります。

 

3つ目:イギリスの三枚舌外交


それが第一次世界大戦時の
イギリスの三枚舌外交です。


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イギリスはどうしても
この戦争に勝ちたかった
のですが、資金と戦力が
微妙に足りませんでした。


なので味方を増やすために
まず戦力となる人を
確保するため

アラブ人に接触します。

「アラブさん、俺らの戦力に
なってくれないか??

もし加わってくれたら
代わりに君たちアラブ人の
独立を約束するよ!」

マジ!?

この1915年に結ばれた
フサイン=マクマホン協定
なんですが、

翌年にイギリスは
ロシアとフランスに
アラブ地域の分割を
約束した

サイクス=ピコ協定
こっそり結んでおり

おまけに資金が欲しいため
ユダヤ人に接触


ユダヤ人国家をパレスチナ
建設することを約束するから

お金の援助してください!」

と1917年にユダヤ人と
バルフォア宣言
してしまうのです。

一体アラブ地域は
パレスチナ
誰のものになるのでしょう?


そして時は
第二次世界大戦


戦後の処理をする上で
この問題が出てきました。


「アラブ人の独立
ユダヤ人国家の約束…
どう決めようか??」


これを国際連合の判断
委ねることになりました。


ですがこの国連総会の
パレスチナ分割案。

中身は、パレスチナの領土は
ユダヤ人:アラブ人=
57:43微妙に
ユダヤ人よりのものと
なりました。


ユダヤ人はこれに対し
OKを出して俺たちは
今すぐにでも国家を
建国できるよ!と言いますが


アラブ人はパレスチナ全土を
欲しがっていたので
この案に不服で拒否しました。

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ですがアラブ人の判断を
無視したユダヤ人は
パレスチナに勝手に
イスラエル」を建国するんです。


「はあああ!?💢
なに勝手に進めてんだよ!」

と揉めたので
第一次中東戦争
はじまるのでした…


中東戦争の経過

第一次中東戦争の敗北で…



しかしユダヤ人は資金もあるし
イギリスやアメリカの
各国も味方になってくれたので

アラブ人はなすすべなく
負けてしまい
パレスチナにいたアラブ人
パレスチナ人)

イスラエルの周辺へ
逃げることになります。

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このパレスチナ難民が
激増し、アラブ諸国
どうしようもありませんでした…

しかし黙っているわけには
いきません。

なんとか俺たちも
変わろうと
アラブ諸国の中の
エジプトが動きます。

エジプトでは
ムハンマド=アリー朝
の王政が敷かれて
いたのですが、

これが腐敗しており
これに危機感を抱いた
ナセルエジプト革命
起こし王政を廃止するんです。

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(ナセル)

これで新たに
エジプト共和国として
生まれ変わります。

そしてナセルは
農業を安定させるためや
工業を発展させる
電力補給のために

ナイル川上流に
アスワン=ハイダム
建設しようと
各国に資金の援助を
頼むんですが

アメリカやイギリスは
支援を拒んでしまうんです。


なのでナセルは突然
スエズ運河国有化を
宣言し、

スエズ運河を通る船から
得た利益をダム建設に当てる
計画を実行します。

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ですが運河の会社の株を
持っていたイギリスや
フランスはこれに大反対!

イスラエルも巻き込み
第二次中東戦争が始まります。

イギリス、フランス
イスラエル
vs
エジプトなので

戦力差は圧倒的で
もちろん戦いでは
負けてしまうんですが

この戦いの最中
アメリカは停戦を訴え
ソ連もエジプトを支持したことで

イギリスやフランス、
イスラエル
世論から批判殺到となり

ナセルはスエズ運河
国有化に成功するんです!

「戦いには負けたけど
勝負には勝った」
という感じですね。


この流れで気を良くした
ナセルはパレスチナ解放機構
PLOを結成し

悪者のイスラエル
プレッシャーを
与えていきます。


立場が悪くなったイスラエルの”秘策”



もちろん負けていませんが
これで立場が悪くなったのは
イスラエルです。

「俺らは世論から悪者
とみられ、しかも
PLOも攻めてくるかも
しれない。ヤバいぞ…」

この嫌なイメージを
払拭するために
使ったのは、武力でした。


当時は1967年

アメリカはベトナム戦争
戦力を割かれ、戦争といえば
支援を受ける必要が
あるから、

ここでアラブ諸国
イスラエルが衝突しても
俺らの支援は頼れないし
大規模な戦争は避けるだろ…


誰もがそう思ってました。


アラブ諸国「戦争は避けるだろ…」
アメリカ「戦争は避けるだろ…」
イギリス「戦争は避けるだろ…」
ソ連「戦争は避けるだろ…」
世論「戦争は避けるだろ…」


ですが突然
第三次中東戦争が勃発!

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一気に溜めていた
戦力を投じわずか
6日間でアラブ諸国
圧倒し勝利します。

ここでイスラエル
シナイ半島ゴラン高原
ガザ地区ヨルダン川西岸
イェルサレム全域
獲得してしまうんです。

あっという間の奇襲。

パレスチナ難民も多く出て
ほとんどがヨルダンに
移りました。

やられたら、やり返せ!!



惨敗したアラブ諸国

このまま黙っている?

そんなわけないんです。

奇襲を受けたなら
奇襲で返す。

エジプトの大統領は
ナセルからサダト
変わりましたが

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シナイ半島奪還などの
ために密かに軍備を
強化していました。

今まで3度戦争が
あったけど一度も勝てず
領土も奪えていない。

そんなんでいいのか。

シナイ半島を返せ!」

1973年
第四次中東戦争
幕開けです。

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今度はアラブ諸国
イスラエルに対し
奇襲攻撃を仕掛けました。

これでイスラエル
緒戦勝利します!

イスラエル
いままでの不敗神話を
崩されて慌てますが

戦力を整えて反撃されると
事態はこう着します。

一気にイスラエル
打ち崩したいアラブ諸国
結託して

石油戦略を発動させ
イスラエル支援国に対する
石油の販売を停止するんですが

どうにも勝ち切る
ことができませんでした。

裏切り者が味方の中に…!


「勝ちたい!」

アラブ諸国
思ったはずです。

ですがこの最後の
大規模戦争で
”裏切り者”がいました。

エジプト、サダト大統領。

エジプトにとって
この第四次中東戦争
財政的に厳しいものが
ありました。

なのでアメリカ資本の
援助が欲しいと思った
サダトは突然イスラエル
訪問し、和平交渉をします。

1978年にアメリカ大統領
カーターを仲介役として
サダトイスラエル
ベギン首相の間で

キャンプ=デービット合意
を結び、エジプトとイスラエル
和平と国交樹立を合意すると

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1979年には
エジプト=イスラエル平和条約
を結んでシナイ半島もGET

イスラエルとの対立軸から
さっさと一人逃げして
しまったんです。

当然他のアラブ諸国からも
パレスチナ解放機構
人からも恨みを買い

サダトは暗殺されます…

ですがこれで
エジプトはアラビア諸国から
孤立してしまい
アラブ諸国の足並みは乱れ


イスラエルとの対立するのは
パレスチナ解放機構
人たちとなり

次は彼らと揉める
ことになるんです…

 

 

・まとめ&覚え方


中東戦争以前は
フランス革命からの
自由主義、民族自立の
風潮がヨーロッパを席巻し

ユダヤ人は国家建設を
アラブ人は独立を
望むようになった。

②そこにイギリスの
三枚舌外交で両者は
利用され

パレスチナの国家は
国連総会に委ねられるも
アラブ人に不服なものとなり
第一次中東戦争勃発…

③敗北したアラブ諸国
中からエジプトが覚醒!

スエズ運河国有化を
宣言したことでイギリス
フランスが反発し

イスラエルを巻き込んで
第二次中東戦争勃発…

③世論から悪者扱いされ
PLOでプレッシャーを
かけられたイスラエル
この情勢を打開しようと

奇襲作戦に出る。
第三次中東戦争、開始!)

結果イスラエルは圧勝し

シナイ半島ガザ地区
ヨルダン川西岸、
ゴラン高原を全イェルサレム
を獲得して
領土を拡大する。

④惨敗したアラブ諸国
なんとか領土を取り返そうと
軍備を密かに強化

奇襲返しで
第四次中東戦争、勃発!

しかし決着つかずに
エジプトは、財政難から
抜け駆けして和平交渉し
対立から抜けてしまう。

イスラエルから
パレスチナを取り返すため
今度はパレスチナ解放機構
PLO)が真っ向から対立…

という感じですね!

ちなみに年代ですが

第一次→1948年
第二次→1956年
第三次→1967年
第四次→1973年

ということで

覚え方は

縛られ、殺され、むなしい涙

(しばられ→48)
(ころされ→56)
(むなしい→67)
(なみだ→73)

です!


領土に不満を持って
負けて、国を強くするも

相手から奇襲され
奇襲返しするも勝てない。

この流れと中身の動機を
しっかり抑えていきましょう!


では、また👋